多治見教会の概要
私たちの教会は、多治見で伝道を始めて2018年で115年になりました。多治見の初代町長であった岩田味三郎氏が、1903年に洗礼をうけ、この教会の基礎がつくられました。「改革派教会」と呼ばれる教会は、宗教改革にまでさかのぼり、特にジュネーブにおいて改革にとりくんだ、ジャン・カルヴァンの教えと伝統につながります。聖書の教えるキリスト教信仰を忠実にうけつぎ、宗教改革の精神を重んじています。神の恵み、イエスキリストの救いを信じ、ひとりでも多くの方々に、聖書の招きをお伝えすることを願って、多治見の地で伝道しています。日曜日には高齢者から幼い子供まで70人あまりの人々が集って、讃美歌を歌い、祈り、聖書を学んで礼拝をささげています。まだキリスト教のことが分からない方や、信仰をもとめる方々も、数多く礼拝に参加しておられます。どうか、私たちの教会の集いにご参加ください。また、聖書や信仰についての ご相談のある方は、ふだんの日にも、牧師と面談することができます。お気軽に 電話などでご連絡ください。
多治見教会の沿革
1903年 | 多治見町初代町長であった岩田味三郎氏が受洗 岩田氏自宅を開放して礼拝開始 |
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1904年 | 多治見伝道所設立 多治見柳町、白銀町、宮前町、虎渓町などへ移動 |
1938年 | 渡辺連平牧師就任(1940年まで) |
1941年 | 伊藤庄太郎牧師就任(1943年まで) |
1943年 | 水垣清牧師就任(1949年まで) |
1949年 | 杉山豊胤牧師就任(1953年まで) |
1950年 | 教会堂(第一会堂)兼牧師館が現在地に完成(小田町) 改革派教会へ加入 |
1953年 | 石丸幸助牧師就任(1958年まで) |
1956年 | 土岐津伝道所開設 |
1958年 | 石丸新牧師就任(1967年まで) |
1961年 | 教会堂完成(第二会堂) |
1964年 | 伝道所から多治見教会として独立 |
1967年 | 玉木鎮牧師就任(1996年まで) |
1968年 | 土岐津伝道所併合 |
1971年 | 教会学校教室完成 |
1986年 | 教会堂・教室増改築 |
1991年 | パイプオルガン完成・設置 |
1997年 | 小野静雄牧師就任(2017年まで) |
2015年 | 教会堂完成(第三会堂) |
2017年 | 松田基教牧師就任(現在に至る) |
多治見教会歴代牧師
1938年~1940年 | 渡辺連平(わたなべ れんぺい) |
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1941年~1943年 | 伊藤庄太郎(いとう しょうたろう) |
1943年~1949年 | 水垣 清(みずがき きよし) |
1949年~1953年 | 杉山豊胤(すぎやま とよたね) |
1953年~1958年 | 石丸幸助(いしまる こうすけ) |
1958年~1967年 | 石丸 新(いしまる しん) |
1967年~1996年 | 玉木 鎮(たまき まもる) |
1997年~2017年 | 小野静雄(おの しずお) |
2017年~ | 松田基教(まつだ もとのり) |
牧師紹介
多治見教会牧師 松田基教(まつだ もとのり)
「キリスト教会は、子どもからお年寄りまですべての人に開かれています。 教会は清い人、まじめな人、敬虔な人しか来ることができないようなところではありません。信者でなければ教会に入れないなんてこともありません。キリスト教会でよく用いられる「福音」という言葉は、「良い知らせ」という意味です。 すべての人にとっての「良い知らせ」が聖書の中にある、キリスト教会はそれを伝えているところです。それを聞くのに何の資格も必要ありません。ただ生活の中で抱える重荷や悲しみを、礼拝にきてすこしでも軽くし、心と身体をホッと休めていただければそれで充分です。 讃美歌を歌いたい、聖書の話を聞いてみたい、宗教に関心があるので一度行ってみたい、そのような皆さまを心から歓迎します。もしご相談やご質問等がございましたら、必要に応じて面談もいたしますので、教会までお問合せ下さい。イエス・キリストの下で皆さまがすこしでも喜びや安らぎを得ていただけますことをお祈りしています。」
本人による自己紹介
1975年(昭和50年)12月生まれ
キリスト教を漢字で書くと「基督教」になります。私の両親は結婚前に一緒に教会に通い始め、二人で洗礼を受けてその後結婚しました。そんな経緯から気合いが入っていたのでしょうか、最初に生まれてくる子に「基教(もとのり)」という名前をつけたのです。
そんなわけで、私は生まれたときから(or生まれる前から)、教会に通っていました。当時は神奈川県の茅ヶ崎市に住み、鎌倉市にある日本キリスト改革派西鎌倉教会に車で30分ほどかけて通っていました。私にとって教会というのは、なによりも遊び場でした。
1988年3月
小学校を卒業すると、父の実家のある愛知県江南市に引っ越しました。今でも実家はそちらです。教会は愛知県犬山市にある日本キリスト改革派犬山教会に通うようになりました。中学生の頃は、いじめにあったこともあり、不登校になりかけたこともありましたが、家族に支えられて大事にはいたりませんでした。
1991年4月 愛知県立江南高校に入学
部活動は中学からやっていたバスケットボール部を選択、2年生途中からキャプテンを務めるようになりました。部員の少ない弱小チームでしたが、楽しかったです。両親との約束により日曜日に教会の礼拝に行くことを原則にしつつも、試合や重要な練習には行かせてくれました。感謝しています。
1994年4月 中京大学法学部法律学科入学
本当は親元を離れたかったのですが、受験に失敗。なんとか一つだけ合格した大学に入学することになりました。志望とは違う学部でもあったため、あまり身の入った勉強もできず、大学生としてはあまり真面目ではありませんでした。
しかし、このことが私の人生にとって大きく関係することになります。もしこの時親元を離れていたら、教会からも離れてしまっていたかもしれません。当然ながら牧師になることもなかったでしょう(苦笑)
1995年1月17日
阪神淡路大震災が起きました。私は大学の期末試験の真っ最中でした。地域の教会による学生や青年の集まりの中で、ボランティアに参加できる学生を募ることになりました。震災の一週間前に神戸を訪れていたこと、期末試験が終わり春休みに入ることもあって、私はボランティア活動に参加することにしました。
2月1日、神戸入り、避難所になっていた神戸市須磨区にある日本キリスト改革派板宿教会で寝泊まりしながらボランティア活動をしました。送られてくる援助物資を仕分け、避難者の方々に提供するのが私の仕事でした。当初は一週間程度の予定でしたが、何度かの帰宅を挟みつつ、気が付けば板宿教会が避難所としての役割を終えるまでの約一カ月半、ボランティアとして活動しました。この時の経験が、教会に通っていてもイエス・キリストを信じきるに至っていなかった自分を信仰の道へと導くことになりました。ボランティア活動で、被災者の方々と接する中で、自分も含めた人間の強さと弱さの両面を知り、そんな私と共にいて下さるキリストの愛を実感したからです。
この年の12月、クリスマスの礼拝で信仰告白式というものをして、正式に(?)クリスチャンになりました。
1998年3月 大学卒業し、就職
一般企業に就職。しかし、人間関係に疲れ、体調も崩したため一年余りで退職となりました。その後、交通誘導の警備員やSONYの工場でアルバイトをしました。多治見には上山町にあるカーマや西友のオープンの時に、警備員のアルバイトで駐車場の交通誘導のために来たことがあります。多治見にお住いの方は、もしかするとその時に会っているかもしれませんね(笑)
2002年4月 神戸改革派神学校入学
進路にいろいろと悩み、祈る中で、牧師となる道が与えられました。学生の頃は、教会の方から奨められても、「牧師にだけはなるものか」と言っていたのに、不思議なものです。神様のお導きととらえています。
当時の神学校は3年3カ月が学びの期間でした。勉強面ではいろいろと苦労もしましたが、同期にも恵まれ、今から振り返っても楽しい神学校生活でした。
2005年6月 神戸改革派神学校卒業
同年7月 香川県高松市にある日本キリスト改革派高松教会に牧師として就職
四国の地に住むのは初めてでしたが、さぬきうどんの美味しさにはまり、そば派からうどん派に転向しました(笑)
高松教会は日本キリスト改革派教会の創立(1946年)にも参加した歴史ある教会でしたが、信徒の皆様に支えられて、牧師としての歩みをスタートしました。
2006年3月 結婚
まだ、神学生であった2005年4月に婚約し、多治見教会の前任牧師である小野静雄先生ご夫妻に結婚の証人になっていただき、妻が生まれたときから育ってきた日本キリスト改革派名古屋教会で、木下裕也牧師の司式により結婚式を挙げました。ちなみに妻と初めて出会ったのは、上記の阪神淡路大震災の時のボランティアを募るための学生・青年の集まりの時です。もっともそれから数年間は何もありませんでしたけどね(笑)。付き合い始めたのは婚約の一年ぐらい前の話です。
2011年4月 長男誕生
2013年6月 次男誕生
2014年6月 高松刑務所教誨師委嘱
毎月1回、刑務所に通い、グループ教誨という形で5~10名ほどの被収容者の方々相手に聖書の話をしたり、キリスト教についての質問に答えたりしていました。また希望者には個人教誨をすることもありました。イースターやクリスマスには大きな集会をし、多いときには100人以上の被収容者の方々が参加してくれました。この働きは、高松教会の牧師を辞職するまで続けました。
2015年11月 長女誕生
2017年8月 高松教会牧師を辞職し、多治見教会に牧師として赴任
よく「牧師も転勤があるんですね」と言われますが、私たちの日本キリスト改革派教会は全国に約140ほどの教会があります。牧師については、それぞれの教会が「自分たちの教会に牧師として来てくれませんか」と招きます(これを「招聘(しょうへい)」と言います)。一つの教会で働く期間は牧師によって異なります。何十年も同じ教会で働く牧師もいれば、数年ごとに転任する牧師もいます。強制ではなく、それぞれの牧師の考え方、教会の必要、何よりも神様からの呼びかけ(「召し」あるいは「召命(しょうめい)」とも言います)を確信した上での判断によります。
そういうことで、多治見教会の招きを受けて、家族共々多治見の地にやってきました。
この多治見の地で、神と人に仕える者として歩んでいきたいと願っています。どうぞ、よろしくお願いいたします。
松田基教