2024年5月26日礼拝
ペトロの手紙一 1章1, 2節
イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。
ペトロの手紙一を通して神の御言葉に耳を傾けましょう。この手紙はしばしば「苦難の手紙」と呼ばれます。「あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです」(4:14)とあるように、当時のキリスト者はイエス・キリストを主であると信じる信仰のゆえに非難され、迫害に遭っていました。ローマのことをバビロンと呼んでいて(5:13)、ローマを名指しして批判することが危険な時代であったと推測されます。
しかし、この手紙は「勝利の手紙」「希望の手紙」でもあります。手紙の宛先である「ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニア」はいずれも小アジアの地名ですが、使徒言行録2章9節以下に挙げられている地名と重なっています。使徒言行録によると、ペンテコステの日、聖霊降臨のあと、ペトロが福音を告げ知らせて、三千人ほどが洗礼を受けました。おそらく、小アジアから来ている人たちの中に、ペトロの説教を聞き、洗礼を受けた人たちがいたのではないでしょうか。そして彼らは故郷に帰り、自ら福音を宣べ伝えました。そうして、エルサレムからもローマからも遠く離れた小アジアの各地にキリスト者が起こされ、信仰者の群れがあったということではないでしょうか。ペトロは、ペンテコステのときに出会った彼らを励まして、手紙を書き送ります。
ここで明らかなことは、主イエス・キリストの福音は勝利する、ということです。いったん知らされて、信じるものとされたならば、私たちは、それを隠していることも押さえつけておくこともできません。福音には神の力があります。神の御言葉は、苦難の中でも鎖につながれることなく宣べ伝えられ、確かな勝利を勝ち取るものなのです。それゆえ、この手紙は「勝利の手紙」であり、「希望の手紙」にほかなりません。
ペトロは「イエス・キリストの使徒ペトロから」と言って、手紙を書き始めました。しかし、ペトロにはおそらくためらいがあり、躊躇があったでしょう。「使徒」とは「遣わされた者」という意味で、遣わすお方である主イエス・キリストの権威が光り輝いています。しかし、いかにそれにふさわしくない自分であるのか。ペトロは思い悩んだでしょう。
彼は、主イエスから「岩」を意味する「ペトロ」という名前をいただきました。主イエスへの愛と一途さが岩のように固く強かったからでしょう。しかし、岩が時にたいへんもろいように、人間の強さは時に弱いものです。主イエスにどこまでも従い通すと誓ったペトロは、その同じ夜のこと、「そんな人は知らない」と言って三度主イエスを否定してしまいました。ペトロは主イエスに見つめられて自分の罪と惨めさを悟り、激しく泣いたのです。復活の主イエスは、しかし、そのペトロに三度語りかけて、「わたしの羊を飼いなさい」と命じました。弱さを知るペトロを召し出して、弱さの中にある兄弟姉妹を励ましなさいとおっしゃいます。ペトロは、罪深く弱い者を召し出して立たせる、この主イエス・キリストを知って、主に真実にどこまでも従う者とされたのです。こうして、詩編30編6節の、「泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」とは、まさにペトロにおいて鮮やかに実現したことです。自分の罪と弱さを知って泣いたペトロは、主イエス・キリストに希望を見て立ち上がり、喜びの歌をうたう者とされたのです。
私たちの希望は主なる神にあります。主イエス・キリストにあります。主イエス・キリストが私たちを罪と弱さの中から立ち上がらせてくださるのであって、私たちはキリストの十字架と復活から来る希望に生きるのです。ペトロにとって、信仰とは希望に生きることにほかなりませんでした。主イエス・キリストにある希望に生きる。それが信仰に生きることなのです。十字架と復活のキリストに希望をおいて歩んで参りましょう。