2025年3月30日礼拝
マタイによる福音書 21章1~11節

一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」
それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」(1~9節)


 主イエスは、ベトファゲに二人の弟子を遣わして、子ロバを連れてくるようにお命じになりました。しかし、そこで起こることをすべてご存じであるかのような口ぶりです。いや、その通り、ご存知なのです。主イエスは、村に入るとすぐにロバがつながれていて、子ロバがいることをご存知です。ロバの綱をほどこうとすると、「なぜほどくのか」と尋ねられることも、そして「主がお入り用なのです」と答えると貸してもらえることもご存じです。マタイ福音書は、主イエスが私たちに先立って、すべてを成し遂げていく、まことの王であられると示しています。主イエスこそ、すべてを支配しているまことの王であられます。

 子ロバは若くて、人や荷物を乗せたことがありません。人を乗せる鞍のような準備がなかったものと思われます。それで、弟子たちが子ロバの背に服をかけます。主イエスが子ロバに乗ってエルサレムに向かわれると、大勢の群衆が自分の服や、取ってきた木の枝を道に敷きます。これは、戦いに勝利した王や将軍を迎えるときの行為です。主イエスは、戦いに勝利したまことの王としてエルサレムに迎え入れられました。

 マタイ福音書は、ゼカリヤ書9章9節を引用して、「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って』」と言います。王は「子ろばに乗って」とあります。ロバは体が小さく、足が遅く、臆病なため、戦争に不向きとされます。当時の王は馬に乗ったそうです。どうしてここではロバに乗ると言われるのでしょうか。注目すべき点は、ゼカリヤ書で「高ぶることなく」とあり、マタイ福音書では「柔和な方」と言われることです。ロバが高ぶることなく、謙そんで柔和なことのしるしとされるのです。戦争には不向きでも、体は小さくても力があり、足が遅くても確かであり、荷役や畑仕事にはとても役に立つ。ロバは人に仕える動物です。まことの王は、そのようなお方として来られます。

 聖書の示すまことの王は戦争を行わない王です。むしろ人びとに仕えてへりくだり、恥ずべきことを引き受けるという仕方で、戦いをたたかわれます。すなわち十字架です。十字架につけられることによって私たちの罪と戦ってくださいます。私たちには自分の欲望を追い求め、むさぼる罪があります。戦争の背後にもこの罪があります。戦争をして勝てば平和になるのではありません。戦争は、たとえ勝利しても憎しみが残ります。もちろん戦争だけでなく、私たち自身の日ごとの歩みの中に罪が潜んでいます。主イエスは、その罪とこそ戦って、勝利してくださる、まことの王であられます。エルサレムに入り、そこで主イエスは十字架につけられます。私たちに代わって罪の贖いとなることを引き受けて、十字架につけられて死に、罪と死の力に打ち勝ち、勝利されました。しかも、そのことを消極的にではなく、自ら選び取って成し遂げられたのです。救い主は、こうして罪の中でもがき苦しみ私たちを愛して、愛し抜いて、十字架によって罪に勝利された、まことの王であられます。

 群衆は主イエスをほめたたえて、「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように」と叫びました。ところが、わずかその数日後、人びとは主イエスを「十字架につけろ」と叫びます。そのように、十字架による平和の道を受け入れることは、とても困難なことなのです。けれども、聖書は、ロバの子に乗って来られたこのお方こそ、まことの王、まことの救い主であると告げています。私たちは、十字架の勝利を知ることへと導かれた幸いを心に刻み、このまことの王、救い主の御前にへりくだります。十字架の王をこそ「ダビデの子にホサナ」とほめたたえて、主に結ばれる歩みを共にして参りましょう。