2025年10月12日礼拝
マタイによる福音書 6章25~34節

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」


 「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな」。「思い悩む」と訳されているギリシア語には引き裂かれるという意味があり、私たちの心がさまざまなことで引き裂かれ、思いが乱れて落ち着かない様子を言い表しています。私たちには、生活のあれこれを思い巡らして心が定まらないことがあります。頭がいっぱいになり、右に左に揺さぶられてしまう。主イエスは、そのような私たちのことを心配して、「思い悩むな」とおっしゃるのです。

 主イエスは、現状を少しでも改善するために私たちに勧めます。「空の鳥をよく見なさい」「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」。同じ内容が書き留められているルカ福音書12章では、「烏のことを考えてみなさい」(ルカ12:24)となっています。鳥は鳥でも私たちがしばしば毛嫌いするカラスです。旧約のレビ記で、カラスはけがれた鳥とみなされていました(レビ11:13-19)。「野の花」は、ソロモンの衣と対比されるところから紫色のアザミではないかと推測されます。アザミは焚き付けのために用いられていたので、「明日は炉に投げ込まれる野の草」にも符合します。すなわち、カラスのようなけがれたものとみなされる動物やアザミのような焚きつけにされる植物であっても、主なる神は愛と憐れみをもって養い育んでおられるということです。ましてあなたがたにはなおさらのことではないか。私たちがどのような人間であっても、私たち一人ひとりを愛して養い育んでくださるに決まっているではないか。主イエスは、こうして、造り主なる神の深い愛と豊かな憐れみを教えて、天の父へと思いを向けるよう、私たちを導きます。

 「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか」。健康に気をつけることは大切ですが、それが自分の寿命を延ばすことになるのか、だれも分かりません。体調を崩せば医師に診ていただかなければならず、自分のことも分からないのが私たちなのです。人間は、自分のことを自分で握りしめていることはできません。ですから、主イエスは、自分に目を向けることから離れて、生けるまことの神に目を向けなさいとおっしゃいます。そして、その神に信頼するところにこそ真の平安があり、安らぎがある。思い悩みから解き放たれて生きる人生の秘訣がある、そう申し上げることができます。

 聖書が教える神は、私たちを造られただけでなく、私たちを背負い、助け出すお方です。「あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(イザヤ46:3,4)。これが、聖書の示す生けるまことの神です。こう約束する神がおられます。ぜひ、このような神を信じて生きる世界があることを知っていただきたいと思うのです。

 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」。この御言葉に導かれて、私たちは神をほめたたえて生きていきます。これは、神を愛して、神の喜ばれることを求めて生きるということです。そしてそのとき、私たちは、自分で自分を背負うことから解き放たれます。自分の命のこと、自分の体のことで思い悩む、それは自分に捕らえられているのです。天の御父が私たちの必要はご存じです。その神のご配慮に自分のことはゆだねて、自分のことを手放す。そして、私たちは神と人に仕えて生きることを考えます。そこに信仰を持って生きる世界があります。それは、人と手と手を取り合って生きる世界です。互いに思いやり、配慮し合って生きるのであり、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く世界です。思い悩みから解き放たれて、神と共に生きる幸いな人生を歩んで参りましょう。