2025年9月7日礼拝
詩編 33編

主に従う人よ、主によって喜び歌え。
主を賛美することは正しい人にふさわしい。
琴を奏でて主に感謝をささげ
十弦の琴を奏でてほめ歌をうたえ。
新しい歌を主に向かってうたい
美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ。(1~3節)


 「主に従う人よ、主によって喜び歌え」と言って、この詩編は、神をほめたたえて賛美することへと私たちを招きます。「琴を奏でて」「十弦の琴を奏でて」とあり、楽器が用いられています。これは、自分の賜物をささげて、心から主を賛美するということです。賛美とは礼拝そのものです。私たち人間にとって本質的なことであり、付け足しとしてでなく、第一に為すべきこととして礼拝します。ですから、自分のすべてをささげて、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、主をほめたたえます。

 1節に「主によって」、3節には「主に向かって」とあります。「主に向かって」は、主なる神へと向かう方向性で、英語では“to the Lord”です。「主によって」は“in the Lord”で、「主の中に」ある、すなわち、主なる神に捕らえられ、結び合わせられているということです。そして、主に結ばれていることが私たちが主を賛美できる根拠であり、「主によって」とも翻訳されます。かつては「罪の中に」あって、私たちは主を知らない者、賛美できない者でした。しかし、今や「主の中に」ある者、主に従う幸いな者とされて、それゆえ、主をほめたたえます。

 3節の「新しい歌」も、時間的な新しさではなく、神によって造り変えられた新しさです。「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです」(コロサイ3:9,10)。罪に支配されている人間性が「古い人」、キリストによって新しくされた人間性が「新しい人」と呼ばれます。罪の重荷を背負う私たちを、神が絶えず新しくしてくださる。神が私たちを悔い改めに導き、神の御前に生きる「新しい人」にしてくださる。その神の御業を歌うので「新しい歌」です。私たちは、私たちを造り替える神の御業を賛美して、「新しい歌」を主によって喜び歌います。

 4~10節で、神の天地創造の御業、天地を造られた神のくすしき御業が賛美されています。8~11節では、この世を統べ治める神の摂理の御業がほめたたえられます。そして、12~15節で、「人の子らをひとりひとり御覧になり」「地に住むすべての人に目を留められる」とあることが印象的です。神はいと高きお方、天におられるお方ですが、私たちから遠く離れておられるのではありません。私たち一人ひとりに目を留めて、私たちのことを知っておられるお方です。それゆえ、やがて神はご自身の独り子を地上に遣わしてくださいました。罪の悲惨に苦しみ、生き悩む私たちのために、独り子を救い主として与えてくださったのです。今や、十字架のキリストが天におられ、キリストの霊である聖霊が私たちの内に住んでおられます。生けるまことの神は、キリストと聖霊にあって、私たちの弱さや悲しみ、痛みと嘆きをご存じのお方です。そして、その神が、主イエス・キリストによって私たちを罪の悲惨から救い出してくださいます。そこに、私たち信仰者の幸いがあり、平安があります。

 「王の勝利は兵の数によらず、勇士を救うのも力の強さではない。馬は勝利をもたらすものとはならず、兵の数によって救われるのでもない」。勝利は人間の力によるのではありません。とりわけ、私たちの戦いは、人間の罪との戦いであり、自分自身との戦いです。自分の力や人間的な力を頼みとするとき、それはたちまち神から離れることに結びつきます。そうであってはなりません。主なる神を信頼し、主を畏れ敬うことを第一とするところに勝利があります。こうして、「我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾」と歌って、この詩編は結ばれます。

 私たちを罪から救い出す、神の新しい御業をほめたたえましょう。そこに、神を信頼し、神に依り頼む、私たちの幸いな人生があります。これからも共に、喜びと感謝をもって、主によって喜び歌いましょう。