2026年8月30日礼拝
出エジプト記 3章15~22節
神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。
これこそ、とこしえにわたしの名、これこそ、世々にわたしの呼び名。
さあ、行って、イスラエルの長老たちを集め、言うがよい。『あなたたちの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主がわたしに現れて、こう言われた。わたしはあなたたちを顧み、あなたたちがエジプトで受けてきた仕打ちをつぶさに見た。あなたたちを苦しみのエジプトから、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む乳と蜜の流れる土地へ導き上ろうと決心した』と。彼らはあなたの言葉に従うであろう。あなたはイスラエルの長老たちを伴い、エジプト王のもとに行って彼に言いなさい。『ヘブライ人の神、主がわたしたちに出現されました。どうか、今、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。』(15~18節)
主なる神は、イスラエルの民を「わたしの民」(7節)、「わが民」(10節)と呼んで、心に留めておられます。「苦しみをつぶさに見、……彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った」と、見る、聞く、知ると言葉が重ねられていることが印象的です(7節)。神はイスラエルの人々をエジプト人の手から救い出し、「広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地」に導き上るとおっしゃいます(8節)。「広々としたすばらしい土地」は、奴隷から解き放たれる開放感を感じさせる言葉です。「乳と蜜の流れる土地」の乳は山羊やらくだの乳を指し、蜜は蜂蜜だけでなく、ナツメヤシ(デーツ)、ぶどうやいちじくのような甘い果実を含めて用いられます。砂糖は貴重で、果実から甘味を得たのです。古代のパレスチナは肥沃で豊かであり、多くの民族を養うことのできる土地だったようです。
主なる神は、「わたしはあなたをファラオのもとに遣わす」とおっしゃって、モーセをエジプトに遣わします(10節)。モーセを一人で遣わすのではありません。「わたしは必ずあなたと共にいる」(12節)と約束しておられ、神ご自身が共におられます。神共にいまして、遣わされるのです。
「主(ヤハウェ)」(15節)という御名を示した神は、続いて「さあ、行って、イスラエルの長老たちを集め、言うがよい」(16節)とモーセに命じます。「彼らはあなたの言葉に従うであろう」(18節)とは、神ご自身が彼らに働きかけ、彼らを導くという約束です。イスラエルの人々がモーセを受け入れて、エジプト王のもとに行くなど、人間的には、そう簡単には実現しないだろうと思われることですが、神の主権的な御業として成し遂げられます。事実、エジプトに戻ったモーセが主から命じられたように告げると、イスラエルの人々はみな信じる者とされました(4章31節)。
「どうか、今、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください」(18節)。出エジプトの目的は、主なる神を礼拝することだということです。「この山で神に仕える」(12節)ともあり、彼らが目指すのはホレブの山、シナイ山です。イスラエルの民全体がわずか三日で到着できる距離ではありません。「三日の道のり」とは、神礼拝を指し示す、象徴的な表現だと言えるでしょう。
主イエスが両替人や商人たちを神殿から追い出された宮清めの出来事で、憤慨して詰め寄るユダヤ人たちに主イエスはおっしゃいました。「この神殿を壊して見よ。三日で建て直してみせる」(ヨハネ2:19)。三日で建て直すとは、主イエスの復活、また聖霊が降ってキリストの体としての教会、礼拝する群れが建て上げられたことを意味します。「三日の道のり」には、そのような、ご自分の民の礼拝を新しく建て上げる、神の決意とご計画が示されています。イスラエルの民は、礼拝する民とされることによってこそ、真実に奴隷から解き放たれて生きることができるのです。
私たちは、お金が大切だと思ってお金に支配され、仕事が大切だと思って仕事に支配され、実のところ、絶えず何ものかに支配されています。エジプトから解き放たれたとしても、ただそれだけならば、荒れ野で水や食べ物を求めて、食べること飲むことの奴隷になりかねません。神を礼拝するとは、神に支配されて生きるということです。エジプトの奴隷、罪の奴隷から主なる神の奴隷へと変えられて、主のしもべとして生きるのです。主なる神こそ、私たちを愛して、恵みと憐れみに生きることへと導いてくださいます。このお方のもとでこそ地上のあらゆるものが相対化されて、私たちは真実に自由とされます。罪と死の力からも解き放たれて、真実の命に生きることができます。主なる神は、今、私たちをも礼拝へと導き、主のしもべとして生きる者としてくださいます。主の招きに応えて、主のしもべとして生きる幸いな人生を共に歩んで参りましょう。

