2025年12月28日礼拝
ルカによる福音書 2章21~40節

八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。
さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(21~32節)


 三つのことが律法で定められているとおりに行われたと書き留められています。一つには割礼と名付けです。二つには幼子を贖うこと、初子の贖いです。三つにはマリアの清めの献げ物をささげることです。これらがいずれも律法の規定どおりに行われました。律法は神の言葉であり、神の約束ですから、神の約束が成し遂げられたのです。神の約束がすべて成し遂げられる、そのために幼子は来られたのだということです。

 割礼は、欠けがあり罪があることのしるしです。生まれたばかりの子どもも例外ではありません。そのしるしとして割礼が施されます。そして、欠けと罪のゆえに救いが必要です。こうして割礼は罪人であり、神からの救い主を待ち望むことのしるしです。また、幼子はイエスと名付けられました。これも神が命じられたとおりです。「神は救いたもう」という意味があり、主イエスは救いを待ち望む名を帯びてくださいました。主イエスはまことの神であり、本来、割礼を受ける必要も救いを待ち望む必要もありません。けれども救いを待ち望む罪人の列に加わってくださいました。福音書は、ここにすでに神の約束の成就があるのだと言います。

 エルサレム神殿で、一つにはマリアの清めの献げ物を献げます。けがれている期間と清めの期間があり、男の子を産んだ場合は合計40日間、家に留まることとされていました。その清めの期間があけたときに神殿で清めの献げ物を献げます。山鳩ひとつがいか家鳩のひな二羽をいけにえとしてささげる、これがマリアの清めの献げ物です。このマリアの清めの献げ物も、律法に定められているとおりに行われました。

 幼子を贖うこと、初子の贖いは、出エジプトを記念して、幼児を献げることが定められたものです。もちろん殺して献げるのではなく、贖いの規定が設けられました。聖所の銀五シェケルで献げた子を買い戻します。それで初子の贖いです。そうして、その子を神から与えられた子どもとして育てます。ですから、この銀五シェケルは命の代価だと言えるでしょう。神のものであることのしるしとしての銀五シェケルです。

 幼子イエスは、両親と共にナザレに帰ったのですから、実際に行われたのは、銀五シェケルを支払って買い戻すことです。それをルカ福音書は、「両親はその子を主に献げるため」(22節)、「両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして」(27節)と書き記します。すなわち、真実には幼子イエスが神へのいけにえとして献げられたのだと言いたいのです。幼子は約束を成し遂げるために来られ、罪もけがれもないお方が私たち罪人の贖いのために献げられて、まさに約束のとおりに贖い主としてのご生涯を歩み始められたのだ。そう言いたいのです。

 その献げ物を受け取るかのようにシメオンが登場し、幼子を腕に抱いて言います。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです」。神はシメオンの腕に抱かれた幼子を異邦人を照らす啓示の光として掲げておられます。シメオンをとおして、神ご自身が幼子を高く掲げて、この幼子こそ「あなたを照らす啓示の光」だとおっしゃっておられます。飼い葉桶に寝かされた幼子は、罪もけがれもないお方でありながら、罪ある者の一人に数えられます。私たちの罪を背負い、その代価を支払うために、やがて十字架につけられてくださいます。主なる神は、このシメオンの腕に抱かれた幼子こそ、私たちに救いをもたらすまことの救い主だと告げておられます。この主イエス・キリストのゆえに、今や神の約束は確かです。この神の恵みに固く立ち、神に感謝をささげ、新しい一年の歩みを共に始めて参りましょう。