2025年10月19日礼拝
マタイによる福音書 6章25~34節

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」


 「明日」という言葉で、何を思い浮かべるでしょうか。希望にあふれる将来を思い浮かべるかもしれません。試験などが予定されていると不安を感じさせる言葉なのかもしれません。明日はまだ見ぬ日であり、期待と希望になり、また不安と重荷にもなります。自分の命や体が、自分のことでありながら、自分の手の中にはない、それと同様に、明日も自分のことながら、私たちの手の中にはありません。それゆえ思い悩んでしまう。そんな私たちが少しでも前を向いて歩むことができるよう、主イエスは「明日のことまで思い悩むな」と語りかけてくださっています。

 旧約聖書の詩編に、このような言葉があります。「主をたたえよ、日々、わたしたちを担い、救われる神を」(詩編68:20)。この「日々」は、ヘブライ語で一日を表す「ヨーム」の複数形ヨーミームではなく、「ヨーム、ヨーム」となっています。ですから、「一日、一日」ということです。主なる神は、私たちの一日一日を大切に取り扱ってくださいます。その日ごとに神の恵みは私たちに豊かであり、その日ごとに、私たちを担い、苦しみから助け出し、幸いへと導く、神のくすしき御業があるのです。

 箴言にはこうあります。「明日のことを誇るな。一日のうちに何が生まれるか知らないのだから」(箴言27:1)。「誇る」には喜ぶという意味があり、今日のことを放り出して明日はきっと何かいいことがあると、明日を楽しみにする態度です。わたしも、今日はもうダメだ、明日になれば何とかなるさなどと思うことがありますが、聖書は、明日を頼みとする態度を戒めて言います。「一日のうちに何が生まれるか知らないのだから」。私たちは、今日の一日でさえ何が起こるか知りません。むしろ今日、今このとき、自分の思いを越えたよいことがあるかもしれないのです。私たちが明日を思い悩むとき、実は、今日を見失っているのかもしれません。今この瞬間に何があるのかを見失っているのかもしれません。

 明日のこと、将来のことばかりを見ていると、私たちはどんどん心配になり、焦ってしまいます。それに対して、今日のこと、今やるべきこと、今できることを考えることに集中していくと、心は落ち着きを取り戻していきます。いつの間にか不安は消え去り、むしろ楽しみや喜びを見出すことができます。すなわち、私たちにとって、「今日」という日を大切にして、せいいっぱい生きることが必要なのでしょう。そしてその積み重ねが、まだ見ぬ「明日」という日につながっていくのです。

 キリスト教は、永遠の命があることを教えます。私たちの人生は、決して地上の命で終わりではありません。けれども、それは、私たちの地上の命の価値をいささかでも減じるものではありません。とこしえの命に生きるとは、今の地上の命を大切に生きることにほかなりません。地上で与えられている、今日、この日の命、この瞬間を大切に生きることが、とこしえの命を生きることへと続くのです。

 「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」。この御言葉は、今、この瞬間のあなたを、神さまは愛してくださっている、そして今日この日に、神さまの恵みがあるのだと教えています。空の鳥や野の花を養うに増して、あなたがたにはなおさらではないか、あなたがたに豊かな祝福を注ぐに決まっているではないか、そうおっしゃる主なる神です。今のあるがままのあなたを良しとして、必要をすべて加えて与えてくださるのです。この天のお父さま、父なる神の愛を知るとき、私たちは平安に満たされます。そして、今取り組むべきことにまっすぐに取り組むことができるようにされます。今日の一日にも成し遂げられる神のくすしき御業に信頼して、私たちも、今日の日をせいいっぱい生きて参りましょう。