2026年3月29日礼拝
マタイによる福音書 27章45~56節

さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。
そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。
百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。


 主イエスが十字架につけられたとき、昼の12時頃から、主イエスが息を引き取る午後3時頃まで、あたりは暗闇に覆われました。救い主の御降誕が主の栄光に照らされる光の出来事であるならば、救い主の十字架の死は暗闇の出来事です。預言者アモスが告げていました。「その日が来ると、と主なる神は言われる。わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に大地を闇とする」(アモス8:9)。ついにその日が来たのです。

 主イエスは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫んで、ついに息を引き取られました。これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味で、主イエスの死が父である神から見捨てられた死であることを示しています。主イエスは、鞭で打たれ、手のひらを釘で打たれて十字架につけられ、大きな肉体の痛みを味わわれたでしょう。けれども、主イエスが、ご自身の痛み、苦しみを言い表された、それは、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」という、このことだけでした。

 主イエスは、神を神としてあがめ、神と人に仕えて歩み抜かれました。その主イエスが父なる神から見捨てられます。それは断絶であり、神は主イエスをまったく助けません。助けるどころか刑罰としての死を与えます。御父は、罪の報いである死とその呪いをすべて主イエスに背負わせます。その苦しみを味わって、主イエスは「なぜなのですか」と叫んでおられます。主イエスはご自分が十字架につけられることを覚悟しておられました。十字架の意味と目的も知っておられました。そうであるのに、「なぜですか」と叫ばずにはいられない。それほどに神に見捨てられ、罰せられることの苦しみは大きい。そして、それにもかかわらず、主イエスは十字架から降りようとはされません。差し出された酸いブドウ酒を飲むこともなく、苦しみをすべて味わい尽くして、死んでくださいました。

 本来、私たちが神から見捨てられるべき者でありました。人は、最初の人アダムとエバにおいて、神から離れ、神に対して罪を犯しました。それはアダムとエバだけではありません。私たちは、自分を高め、自分を守ろうとして、「神のようになれる、賢くなれる」という誘惑に簡単に負けてしまうのです。その私たちの罪をすべて背負って、主イエスが十字架につけられました。罪のゆえに受けなければならない報い、死とその呪い、そのすべてを主イエスが味わい尽くしてくださいました。

 救い主イエス・キリストに感謝をささげ、父なる御神をほめたたえましょう。主イエスが、苦しみを味わい、叫んでくださった。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれた。それゆえ、もはや私たちが「神は私たちを見捨てられた」と言って叫ぶことはありません。キリストにおいて、すべての罪が処断されました。それゆえ、罪ゆえの刑罰、死とその呪いが私たちの上に下されることはありません。

 マタイ福音書は、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返ったことを書き留めます。たいへん不思議な出来事ですが、これらは復活の命のしるしです。このとき復活の命を指し示して、眠りについていた信仰者たちが生き返らされたのです。この出来事は、キリストの十字架によって罪と死の力が打ち破られたことを示しています。こうして、神は私たちを決して見捨てることなく、生きることへと招いてくださいます。真実に神の御前に生きることへ、新しい命を生きることへと、私たち皆を招いてくださっています。

 主イエスは暗闇の中で十字架にかけられ、いわば十字架で高く掲げられることによって、天と地をつなぐ架け橋となられました。このキリストにおいて、私たちは神の御前に進み出ることができます。私たちは、神から愛されている者として、神の御前に立つことができるのです。